創刊号

「義理ん 背からん ありん捨てぃららん 思案てぃる橋ぬ 渡いぐりしゃ」

意味は「義理か感情のどちらかを選ぶのは難しい」「義理」は地元に振興策を約束してくれた国に対するもの。

 

そして、「感情」は住民投票で明らかとなった名護市民の気持ち。

 

国に対しても義理がある。名護市民のことも捨てられない。橋本総理(当時)もかなり涙を流して泣かれた。と、後に比嘉鉄也氏は語っている。

 

 

 

当時の沖縄県は那覇市、浦添市、宜野湾市等の南部経済圏と沖縄市以北のヤンバル地方と呼ばれていた金武町、宜野座、名護市等の北部経済圏の南北間の経済格差は大きなものがあった。

 

特に海洋博の失敗もあり、海洋博後の北部地域は街道に廃業したホテル・レストラン等が放置され、ゴーストタウンさながらに街から活気が失われていた。

 

そのような状況の中で名護市の市長として、辺野古移設受け入れはまさに苦渋の選択だった。

 

比嘉鉄也氏は北部地方の発展と引き換えに辺野古移設受け入れを決断し、「思案てぃる橋ぬ 渡いぐりしゃ」潔く自ら政界から身を引いたのである。

 

あれから22年の年月が経ち、辺野古地区住民もまた紆余曲折はあったものの住民の多くは辺野古移設を容認している。

 

それでも辺野古のゲート前には市民と称る市外県外国外からの活動家が傍若無人に辺野古の街を徘徊し、国道を渋滞させ、辺野古地区住民は今尚、翻弄され続けている。

また、埋め立て工事も愈々本格化してきた中、工事から地元業者が排除されヤマトの業者による搾取に近い差配の状況も聞こえてきている。

 これから数年は続くであろう辺野古移設工事が、比嘉鉄也元名護市長の思いである「義理ん 背からん」ことにならないように、辺野古義理ん通信として「辺野古りっかりっか通信」を創刊し、「義理ん 背からん ありん捨てぃららん 思案てぃる橋ぬ 渡いぐりしゃ」を、しみじみと噛みしめている。

平成31年吉日  平安山良政

 政府は比嘉鉄也氏の苦渋の選択に報いるように北部振興政策を実施、22年間で1000億円を大きく超える資金が北部地域に投入され、辺野古に「国立 沖縄工業高等専門学校」が開校し、恩納村には「沖縄科学技術大学院大学」が開校、本部町には「美ら海水族館」がオープンして賑わいをみせている。

あの名護市の市民投票から22年、今また政府と沖縄県の対立が深まる中、県民投票が行われ、投票率は52%と玉城知事の思惑と離れ、県民投票としては広がりに欠けたものだった。

 

そのうち反対票は68%で沖縄県民の総数で見るとその割合は37.%である。

 

宣伝だけでも税金を1億5千万も突っ込み、総額では7億円もつぎ込んでいる。新聞ばかりか連日連夜テレビをつければうるさいほどの大宣伝に、街頭では「反対に〇」と書かれた旗や幟まで立てるお祭り騒ぎ、公職選挙法が適用されないのが不思議なくらいの違反だらけの官製「選挙」をして、あのていたらくだった。

 

いくら沖縄タイムス、琉球新報等、沖縄メディアが県外に対して「反対が7割に達した」と鐘や太鼓を叩いてみたところで、県民には反対派の実態が7割どころかわずか37%だということがバレてしまった。

 

玉城デニー知事は、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設計画をめぐり、新年度から辺野古移設に代わる案の検討を始める。と発表しているが、玉城知事は、過去、22年間の名護市民の苦悩、辺野古地区の住民の迷惑苦しみ、比嘉鉄也元名護市長の苦しい胸の内をどれだけ理解しているのか甚だ疑わしい。

玉城デニー知事の思惑とは関係なしに埋立工事はドンドン進んでいる。

 

普天間基地の移設問題をめぐって25日、政府は、工事を進めていた区域の西隣へ新たに土砂の投入を開始した。

 

そんな埋め立て工事の裏側では辺野古移設を「“義理ん 背からん ありん捨てぃららん 思案てぃる橋ぬ 渡いぐりしゃ”」 と詠んだ比嘉鉄也元名護市長の苦渋の選択を嘲笑うようにヤマトの利権屋が跋扈している。

 

例えばコンサルタントと称する利権屋であったり、マージンをピンハネするだけの一次下請け業者であったり、反社と呼ばれる勢力と裏で結託しているブラック企業だったり、辺野古の海はヤマトンチュに翻弄されようとしている。

㈱日本港湾コンサルタントの沖縄プロジェクト室・上級技師と称しながら森崎建設工業の手先のように振舞う藤山隆司氏

また、指定暴力団山口組系暴力団元幹部と如何わしい覚書を交わし、沖縄埋立利権を貪るブラックな業者の加藤産業(長崎市・加藤博文)は子会社で実弟が社長を務める(株)藤進(加藤康弘)の第2藤進丸が辺野古の海で暗躍している。

また、ブラック業者の加藤産業(長崎市・加藤博文)(株)藤進(加藤康弘)の第2藤進丸を協力会社として参加に組み込んでいる一次下請け企業の森崎建設工業(宮崎県)にもコンプライアンス違反の別の新たな疑惑が浮上してきている。

 

森崎建設工業は平成8年12月期には年商197億6300万円をあげる九州地区で有数の実績を誇る港湾土木業者だったが、平成9年2月大分市内のマンション業者に約50億円にのぼる不良債権が発生して経営危機に陥り、その後は銀行主導での再建を進めていた。しかし、50億円を超える借入を抱えていたうえ、最近は公共工事削減の影響もあって受注が減少、15年11月期(11ケ月決算)は年商62億9900万円に落ち込み、計画通りの業績確保が困難な状況から15年11月事業を停止。

県中小企業再生支援協議会の主導による私的整理のガイドラインに準じる手続を進めていた。この間、別途設立された新生の(株)森崎建設工業(宮崎市、設立平成15年8月)へ事業譲渡(事業に必要な資産と負債を含む)している。

 

(株)森崎建設工業(大分市生石4-3-8、設立昭和46年3月、資本金1億2000万円、森崎雅也代表)は2月28日、大分地裁に破産手続開始を申し立て3月8日開始決定を受けた。破産管財人は平山秀生弁護士(大分市中島西3-2-26、電話097-538-2123)。負債は47億8458万円(債権者は金融機関、国税庁で一般債務はない)。

 

その後、森崎建設工業は木下隆光氏が社長に就任し卓越した手腕を遺憾なく発揮し、新生の森崎建設工業として那覇空港建設工事では自民党有力議員の政治力と工事でピンハネした資金力をバックに、船舶の手配は勿論、沖縄近海の海砂から奄美の採石まで5社会(五洋・若築・東洋・東亜・あおみ)の下で独占的にピンハネしていることはあまりにも有名である。

 

“義理ん 背からん ありん捨てぃららん 思案てぃる橋ぬ 渡いぐりしゃ”

 

橋本龍太郎総理への“義理ん 背からん、だけど、名護市民の思いも、ありん捨てぃららん、思案てぃる橋ぬ 渡いぐりしゃ”と歌って政界を引退した比嘉鉄也元名護市長も、ありん捨てぃららんと嘆いていることだろう。

 森崎建設工業の木下隆光社長
森崎建設工業の木下隆光社長